中部エリア
勝山地区エリアの見どころ
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金燈籠 市指定文化財(工芸)
万延元年(1860)越中高岡で造られ、おたね坂下、本町通りの四つ角に常夜燈として建てられたが、昭和に入り馬車の通行が多くなり、現在地に移された。
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旧成器堂講堂
成器堂は天保12年(1841)藩の人材養成を目的に開校、初め読書堂といったが天保14年に成器堂に改称した。
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勝山左義長(ドンド)
350年以上続いている五穀豊穣を祈る行事で、後に火伏せの心事を合わせた祭りである。町内13ヶ所に松飾り(御神体)と入母屋造りの櫓を建てる。
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ドンド焼き
勝山のドンド焼きは祭り最終日の夜、各町より九頭竜河原に移された13本の松飾りに一斉に点火され、祭りのフィナーレを飾る。
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後町の大清水
下後の旧花月楼の裏にあり、明治28年(1895)地元の人達によって不動明王が祀られ、7月27日、大清水祭りとして大変賑わった。
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勝山城址
現在の市役所一帯は勝山城本丸や旧天守台の跡地である。昭和29年(1954)勝山市が誕生し、新庁舎が建ちお堀などが埋められた。
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正等寺通用門
正等寺が明治29年の勝山大火後、後町(旧北陸電力跡)より元禄に移り、その時に家中武家屋敷の脇屋家の門を譲り受けたと伝えられている。
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なでしこ塚(芭蕉句碑)
国泰寺境内に建っている石碑で芭蕉の句「酔て寝ん撫子咲ける石の上」と刻まれている。その隣には三角形の小さな平野帰雲坊の句碑がある。
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勝山の機屋
明治から昭和時代にかけて、勝山は織物王国として栄え、羽二重から人絹へと移っていた。家内工業として小機屋が隆盛し「ガチャマン」という言葉も生まれた。
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小笠原家廟所
沢町の小笠原家の菩堤寺、開善寺(臨済宗)墓地にある。廟所は初代貞信から七代長貴までの墓が上段に建てられ、下段には家族の墓が並べられている。
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柴田監物 勝政(勝安)の墓
富田にある「義宣寺」(曹洞宗)境内に建っており、二人の法名が刻まれている。裏側に柴田監物義宣、柴田三左衛門勝成墓と刻まれている。
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光明院と如意輪観音菩薩坐像
光明院(白山神社)には、高星彦命を祀り本地仏「如意輪観音菩薩坐像」が安置されて、五月の祭りには子供相撲が奉納される。
野向エリアの見どころ
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竜谷公園
1887(明治20)年頃、神明神社の境内に、牛ヶ谷の栗石を加工し188段の石段を設けて造った公園がある。
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比良野家
竜谷で古くから代々庄屋を受け継ぐ、比良野家。隣村・深谷平野の3代目教照が嫡子久太郎に家督をゆずり、竜谷に移り住み、初代九左衛門を名乗った。
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薬師神社
もと薬師如来の寺院あとで、七堂伽藍があったところで、後に織田の家臣によって焼き払われその後薬師神社として薬師如来を祀っている。
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薬師の大イチョウ
高さ約20m・幹廻り7.7mで樹齢300年を越えると言われる銀杏の巨木。勝山市の天然記念物に指定されている。
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五三の松
現在は枯木として蓮如屋敷跡地に切り株が残されている蓮如上人御手植えの松。紀州鷺の森、吉崎別院の松とともに上人御手植え三株のひとつであったと伝えられる。
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蓮如はん清水
蓮如屋敷跡地(現在の白山神社)西側の市道を約130北の山腹から湧き出す清水(しょうず)。仏水として蓮如上人の御用水とされたという。
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中の橋
勝山から加賀新保に至る街道に掛けられていた、野向町の玄関となる橋。かつて一向一揆では激しい戦が展開され、川が血で赤く染まったと伝えられている。
北谷エリアの見どころ
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(旧)北谷小学校
明治5年の学制公布により、集落単位に簡易小学校が設けられていたが、明治27年の学校統合により、現在地に北谷尋常小学校が建設された。
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天下橋
天正年間、柴田義宣監物が滝波川を挟んで谷城を攻略する際、橋を架ける約束と引き換えに、攻略方法を老婆に聞き谷城を攻略したといわれている。
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本誓寺支坊 木根橋導場
この導場は元は天台宗であったが、天正時代1570年、松任本誓寺は織田信長の真宗の迫害に逢い、木根橋村に敗退し隠棲した。石川県松任本誓寺支坊となり現在に至る。
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北六呂師白山神社
例祭は8月15日、2月に祈年祭を執行しているが、これを「いんねん」と称しているが、「延年」の訛伝ではないかといわれている。
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柴田義宣監物墓
殿切原(とのきりはら)は柴田義宣監物が西脇惣左衛門と戦って自害または切られた場所といわれる。
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夫婦滝
滝の落差は30mともいわれ、上の方は分かれて両側に流れており、中程より一つになって流れていることから、夫婦円満の滝ともいわれている。
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石像不動明王坐像
「天文二十年辛亥七月吉日 慈明権僧都」とあり、白山禅定の修験者か平泉寺の僧が、不動滝のかたわらに守り祀ったのであろう。
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番戸神社
谷の番戸家が庄屋をしていた時、殿様へ年貢を軽くしてもらうように出かけたのを村人達が誤解をして、河合山で庄屋を殺したといわれている。
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谷の石畳道
舗装道路として地形に合わせて大小の石を縦・横に使い、坂道の土砂の流出には道路の水切りや石畳、平地のぬかるみには細長い石を埋めるなどの苦心の跡が伺える。
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東山いこいの森
昭和55年にキャンプ場として開設された。コテージは、別荘風で木造平屋建て6棟、バンガローは山小屋風の木造平屋建てで20棟ある。
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お千代の神様
昔おちよという娘が、川から三つの丸い石を持ってきて、真ん中は阿弥陀様、両端は父・母といって毎日花を立ててお参りをしていた。
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小原ダム・滝波川第1発電所
九頭竜川水系滝波川は、雨量が多く出水期には下流の川床が上昇し災害が多いため、小原地区に高さ35・5mの砂防発電兼用のダム造られた。
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杉山恐竜化石壁
1982年にいくつかの恐竜の化石が発見されて以来、大量の恐竜の化石の発見が相次ぎ、日本有数の恐竜化石の産出地となっている。

















